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宮  良 村

 宮良村は隣村の白保村と兄弟村とされ、その歴史は古く、「人々がまだ定住せず、争いを繰り返していた時代に、兄の西嘉和良(インナーラ)、弟の東嘉和良(アンナーラ)二人の兄弟の徳を慕い集まり宮良村、白保村ができた。その後、兄は宮良村に弟は白保村にそれぞれ住み、白保の東表川尻から宮良の西表高山地にいたる長さ約2里(約8km)余り、高さ5尺(約150cm)の石垣を築き害獣を防ぎ、人々に安楽をもたらした。

 

 1771年(乾隆36年)当時の人口は1221人であったが、明和8年3月10日(新暦4月24日、午前8時頃に地震発生。その後、稀有な大干潮現象があり大津波が村を襲った、それにより人口は171人まで激減した。その後、小浜島などから合計320人を寄百姓して人口を補充し村を再建している。

 

 現在では、数々の伝統文化・芸能を守り伝承している事から「伝統文化の村、芸能の村」と称される。

 

現在の人口  1,787人(男 864人、女 923人) 世帯数は756となっている

(2013.4.1)

 

                 《宮良村誌、琉球国由来記、石垣市ホームページ  参照》

 



 

  

宮  良 川

県内最高峰の於茂登岳を源流とし、宮良湾に流れ込む全長12kmの2級河川。

 

宮良川は、河口付近から上流1、5km付近までの汽水帯の両岸にヒルギ群落、いわゆるマングローブが形成されている。

このマングローブは「メヒルギ」、「オヒルギ」、「ヤエヤマヒルギ」などからなり琉球政府によって天然記念物に指定され、復帰(昭和47年5月15日)後は、国指定の天然記念物になっている。



 

  

《宮良村誌参照》

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